めくりの国

 私だけの部屋に、猫の寝息が響いている。この猫の寝息は荒い。大きな音で呼吸する。私は思い出す。1年前、父が死ぬときの人工呼吸器の音を。あれからずっと、父は死んでいる。
 父が死んで、私は離婚することにした。夫がなかなか承諾してくれないので、署名捺印した離婚届を置いて、猫を連れて家を出た。私が借りた築35年の部屋で、私は猫と住んでいる。私の部屋にいる猫は、日によって色味が変わる。ふわふわした茶色と白の猫の日。しんなりしたミルクティー色の猫の日。私の猫はとてもかわいい。猫の腹に顔を沈めて、ゆっくりと息を吸う。吐く。猫の腹の動きに、呼吸を合わせる。
 部屋にいる私は暇だ。インターネットも見る気がしない。だから英語の勉強をしている。文法書の、完了形のところで、いつも行き詰まる。完了形をいつどうやって使えばいいのかどうしてもわからない。「My father has been dead for a year. 」とでも言えばいいのか。ページをめくり、そして戻り、めくり、何度も読む。わからない。
 私の部屋ではたまに、他人が見える。男だ。彼は半透明。というか薄い。音もない。見えるだけ。なにかの膜の向こうにいるみたい。いないのに見える。突然視界に入ってくる。ゲームをしているときもあれば、身支度を整えドアの外へ出ていくときもある。彼はこの部屋の外ではどうしているのだろうか。普通に生きているのだろうか。わからない。
 部屋で他人が見えるというのはひどく迷惑だ。私ばかり彼におびやかされているようなのも不満だ。逆に彼をおどかしたい。いろいろ試した末、私はとうとう「膜めくり」という技を編み出した。部屋のそこここに、世界をぺらりとめくるとっかかりがある。そこをつまんで膜をめくるのだ。ばあっ!とめくると、急に私が現れるらしく、彼は驚き、私は満足する。恐怖で動けない彼に触れたことさえある。怯えて声も出せない彼。事故物件情報サイトを何度も確認している彼。かわいそうに。
 めくりの端っこは、ハエトリグモの左の2本目の足であることもあるし、猫の毛と私の髪の毛が混ざった埃のうちの毛の一本であることもある。人差し指と親指で、ついと引っ張ると、膜が、めくれる。男をおどかすためにめくり始めたが、めくりには思わぬ効用があった。めくれた先の世界は、日常に比べて非常に芳醇なのだ。ある人のことを強く思うだけで、その人に会える。父に会える。友人に会える。昔飼っていたウサギにも会える。もう触れられなくなった存在とだけ、会うことができる。めくりの中で、私は仲たがいした友達と、父と、話す。彼らも私も、決定的な断絶を生んだあの台詞を言わなかったり、言っても許したりする。ウサギのなめらかな毛皮を撫でることもできる。
 めくるめく夢のようなめくりの世界は、でも、長くは続かない。しばらくするとするすると膜が下り、そうすると私は私だけの部屋で一人座っていて、心が竦む。まためくりたくなる。めくりは中毒だ。
 しかし、日が経つにつれて、だんだんめくりの端っこが見つけづらくなってきた。一日に一めくりもできない日が増えた。焦りはじめた、そんなある日、封筒が届く。知った筆跡。夫からだ。宛名の文字の質感から、それが待ちつづけていたものだと気づく。離婚!
 猫を撫でながら手紙を取り出して文字を読む。案の定、離婚届の空欄を埋めたと書いてあった。遅くなってごめんなさい。役所へ行って、提出しました。そして、猫が死にました。猫は、老衰のため、数日かけてゆっくりと息を引き取りました。安らかな死に顔でした。形見にこれを。と、封筒に入っていたのは、私の猫の髭だった。
 じゃあ、この猫は?私の膝の上にいるこの私の猫は?
 猫の喉元を撫でる。あたたかく、ぐねぐねしている。はずの、質感が、急にさめていく。ああ、向こうへ行ってしまう。だめだ。やめて。行かないで。猫が鳴く。声は聞こえない。猫が私の膝から降りて、半透明の男にすり寄る。男は目を細めて猫を撫でる。彼が猫を撫でる撫で方に見覚えがある。夫だ。昔の夫。私が好きだったころの、元夫。猫は気持ちよさそうに喉を鳴らす。だけど音は聞こえない。猫はもう膜の向こう側にいる。私の声も手も、もう届かない。
 それから何日も何日も、めくりの端っこを探した。部屋中を探し続けた。でも、なかった。だから、私は部屋を出た。部屋の外に出て、はじめてこの国がどうなっているのかに気づいた。残念ながら、この国にはもう、めくれる場所はなくなっていた。
 気持ち急いで、誰もいない実家に向かう。静まり返った大きな家の大きな応接間に、布製の小さなスーツケースが縦横4列計16個並んでいる。すべてのスーツケースにそれぞれ誰かの遺品が詰まっている。薬や下着やパンフレット。旅からの帰り道、だらしなくつめこまれてそのまま残された遺品だ。私は過たず父のスーツケースを選び、土地と縁を切り、猫の髭とともに飛行機に乗る。さよなら、めくることができなくなった国。着陸後すぐ、難民申請に向かう。「お気の毒に、あなたの国で、戦争が、始まりましたね」「It has been almost in  the war all the time.」
 こういうときが来るとわかっていたから、私はずっと英語を、学んでいたのだな。久しぶりに見つけためくりの端っこは、しょっぱいフライドベーコンの焦げ目だった。さっそくつまんでめくる。予想通り、膜の向こうには私の猫がいた。存分に撫でた。顔をうずめた。久しぶりの猫のにおいに不安はごっそり溶け去った。猫はころんところがった。

ハトについて

 私はハトに少しだけ詳しい。なぜハトに詳しいかと言うと、自分も何か趣味がほしくて公園へ行ったらハトがいた。だからです。つまり趣味をハトにしたからです。まあにわかハトっすね。にわかハトの立場から今日は言いたいことを言います。
 えーとまずね、和英辞典で「ハト」をひくと、「pigeon」と「dove」の二種類が出てきます。ピジョンもダヴもメーカーの名前にありますよね~。だから聞いたことはあるでしょ~。でも違いは分からないでしょ~。私もわかんないっす。でも基本ピジョンがカワラバト(ドバト)系、ダヴがキジバト系ってことにしてて、それでだいたいなんとかなってきたっす。ここで、ドバト?キジバト?は?なにそれ?って言われちゃったらしょうがない、説明するしかないっすね~。
 まず街中にいる灰色のやつ、飛ぶネズミとかハト害とかさんざんな言われようをしてるハト、あれはドバトっす。ドバト、よく見ると首のところが緑から紫の玉虫色ってやつ?にぎらぎらしてるけど、あれ構造色っていうんすよ。別にそういうのはいい?あ、そう。じゃあいいや、でもさー、あの首のあたりの色味、キジっぽくない?小さい頃の私はキジっぽいって思ってましたね。だからあれがキジバトだって思ってた。ていうかね、うち田舎だったんで、街にいるハトにあこがれてたんですよ~。だから、それがドバトっていうやさぐれた名前だって知ったときはちょっとショックでしたね~。なんかね、うちのおばあちゃん、まだ生きてて、102歳なんすけど、まあその人が昔、駅前で宝くじ売りしてたんすよ。彼女が超ちっちゃい小箱みたいな小屋に入って編みものかなんかしながらちょこんと座っているロータリーのとこで、ハトに豆撒いてる人がいて。がーーーーーっと群がる、ドバト。あれが私にとっての都会。あこがれの都会。なんせうち駅まで歩いて5時間はかかる田舎だったんで。まじまじ。歩いたことないっすけど。
 で、キジバトね。私キジバトの話がしたいの。キジバトはね、メスのキジに似てる。メスのキジ、どんなんか知らない?あーーーーー。都会っ子だあ。裏庭にキジとか来るタイプの田舎に住んだことないんでしょーーーーーーー。それか単に、無学。あ、無学の方なん?そう。
 茶色からマロンクリームよりの、上品な色合いで、基本つがい単位で行動しているのが、キジバトです。キジバトさんはねえ、かわいい。正羽の、オレンジからグレーベージュのグラデーション。首元のしましま。そして、もっふりとした腹の羽毛がね、もうね、猫か!って感じで最高で。って他の動物を引き合いに出して誉めるの良くないっすね。ごめん、キジバトさん。
 あと、目。ルビー色なの~~~~かわいい~~~~きれい~~~~~~。あの目が怖いとかいう人結構いるけど、心を無にしてちゃんと見てみ?もっと心が無になるから。そういう目してんのよ。いいよね~~~~~~~。
 シルエットも、ドバトとキジバトでちょっと違うのよ。同じ型で作った原ハトを、頭と尾っぽをちょっと引っ張って間延びさせたのがドバト、おなかあたりにほんのちょっと平体をかけたっぽいのがキジバト
 さて今回は、身近で見られるこの二種に絞ってご紹介しましたが、世界には非常にたくさんのハトがいて、東京都近辺でもアオバトとかシラコバトとかアカガシラカラスバトとか見られるからね、どんどんみなさんハトを見てってくださいね。
 あ、一個謎があって。私が「ハト音」て呼んでるハトが出す音があって、ハトがね、着地するときに「きゅぃっ」って音を出すんすよ。あれ、どっから出てる何の音なのかなあ。私が子どもだったら、子ども科学電話相談室に電話するのになあ。あー、今だけでいいから子どもになりてえ。
 ってことで、「ハト音」の正体をご存じの方がいらしたら教えてください。
 以上です。
 

鳴るセピア

 9月初めの日曜日の夜、ツイッターを覗いたら、友人がスペースをやっている。おや珍しい。参加ボタンを押すと、先客のスピーカーが一人。白い布?の上に、茶色いゴマのようなものが写った写真の、アイコンの人だ。二人とも和やかな感じで話していたが、私の出現を見た友人が、あ、濃いトマトジュースちゃんだ、と言って、スピーカーに招待してくれた。せっかくだから少しお話しましょう。うん。と、承諾したけれどその瞬間、友人はごめんあたし今トイレ行きたい、とマイクをミュートにしてどこかへ行ってしまった。彼女は昔からそういうところがある。何もかも唐突なのだ。
 残った私たち、インターネットの声だけの場で初対面同士の二人は、当然無言でいるわけにもいかず、話の糸口を探して探して、思いついた。そう、彼のアイコンの話をしよう。私はアイコン写真に写ったゴマ粒のようなものが何なのかわかっていた。シバンムシだ。毎日見ている私にはわかる、あれはシバンムシだ。シバンムシは1~3㎜程度の小さな虫で、何でも食べて増えてしまう屋内害虫だ。気が付くと猫の水飲みに浮いていたり、カーテンに張り付いていたりして、不衛生感が半端ない。もうお気づきであろうが、シバンムシは、何を隠そう今うちに大量発生している。なかなかカミングアウトできないが、うちはシバンムシ屋敷なのだ。そんなシバンムシをアイコンにするからには、彼も家にシバンムシを持つ人に違いない。または、シバンムシの研究者?それならシバンムシの弱点など聞けるかも……よしここはひとつ話しかけてみよう、
「シバンム」
男の声がかぶさる。
アメリカの夜、って、ご存じですか」
 ……は?
アメリカの夜ですか」
アメリカの夜、です」
アメリカの夜……なんか、映画の、技術ですよね。昼間に撮った映像を、照明とかフィルターとか現像方法とか?で?夜に見せる。パチモンの夜みたいなニュアンスなんですかね?それから」先手をとられた私は勢いで話す。おっとりとした低い声のこの男性に、知識マウントを取られたくない。その一心で話す。
「それから、もちろんトリュフォーの映画のタイトルですよね。私あれ好きです。て、そんなに映画を見るわけではないんですけど。あとは読んでないけど、阿部和重の小説でもそういうタイトルのありましたよね」
「……そう。博識ですね」小さな低い声。あ、やっちまったかな。薄っぺらい逆マウント野郎としてひかれたか。
「えっ、ちが、すみません、なんかえっと」
「では、アメリカの入学式、はご存じですか」
「……すみません。存じ上げません」
「美しいけれどありえないもの、という意味です。アメリカに入学式はない。アメリカの卒業式はよく見かけますね、映画などで。ローブを着た学生たちが帽子を一斉に投げる、あの美しく自由な情景は、一度見ると目に焼き付きますね。日本の卒業式とは全然違う。我々みたいな、起立、礼、着席、みたいな、くだらない管理主義に縛られたクソつまらない卒業式。日の丸に一礼して。唾棄すべき習慣ですあれは」いまいましそうにため息をつく。「アメリカに入学式があったら。卒業式も美しいのだから、入学式も自由で美しいのだろうなあと、まあ、中高の仲間うちで作った言葉なんです」
「はあ」仲間うちの言葉かよ。知るわけねえじゃん。
「それで、狐の嫁入りという言葉もあるでしょう」
「お天気雨」
「そうです。それでね、でもね、本当に狐の嫁入りを見てしまう人が、たまに怪談で出てきますよね」
「狐のちょうちん行列を川の向こうに見るとかそういう」
「そうそう。ああいったことが、私にもありましてね。アメリカの入学式で。今、そのときの写真を貼りますね」
なにを言っているんだこの人は。面食らっているうちに、私宛の@ツイートが流れてくる。薄茶けた、セピア色というやつだ、そんな色の、白人や黒人が写った集合写真。
「もう50年も前になります。こんなふうな、9月初めの日でした。私はいたずらをして、親におしいれに閉じ込められていました。涼しかった昔の9月とはいえ、閉め切られた空間はひどく蒸し、暑苦しくて。そうしたら、からっとかわいたいい香りのする風が、おしいれの隅から流れてくるんです」
おしいれの冒険かよ。とつっこむ間もなくシバンムシアイコンの人は、話を続ける。
「そちらに向かって這っていくと、I suddenly realized I was at the attic. I heard my mom say, "It's time to go!”」
「えっ待って突然英語??????????????」
「失礼しました、えーーーーっとここから、英語なんですよ」
「atticって屋根裏部屋ですよね……」
「そうです。おしいれにいたはずの私は、白人の、青い目の少女になって、アメリカ郊外の家の、屋根裏にいました。 And My Dad drived me to school.」
「……」
「初めて行った学校で、 私は少し緊張し高揚していました。自己紹介のあと、私たちは校庭のフットボールゴールの前で、集合写真を撮りました。帰宅して、私は晩餐に祈り、ベッドでお休みのキスをされ、アメリカの少女である私にとってのいつものベッドで眠りました。その晩眠って起きると、私はまた日本の小学生に戻っていました。だから私は思っていました。あれは完全に夢だと。だけど先日母が亡くなり、実家の整理に通っていた時見つけたのが、この写真なんです。母の日記の間に挟んでありました。これをあなたに差し上げます」
 
さぱあああああああああああ、という風の音がした。ひんやりした中にも熱のある乾いたほこりの香り。屋根裏の窓から差し込む光に浮き上がる私の白い小さな指。my momが結んでくれたベロアのリボン。揺れるおさげ。車の中でmy dadは私を
 
「ごめんね待たせてー!」
写真から吹く風にすくんでいた私をここに引き戻したのは、友人の声。
「一人でスペースいるのって手持無沙汰だよね、ほんとごめん。トイレ行ったら生理始まっててさあ、なんか時間かかっちゃった」
「いいの、いいの」
スマホに目を戻すと、もちろん、シバンムシアイコンの人もセピア色の写真も、跡形はない。
「大丈夫。アメリカの入学式に出ていたところだったから」

スペースタンポン

 ディストピアってほどでもないけどね、と可富は鹿波に言った。ただちょっと、面白に流れすぎていておかしい気はするんだ。大きな街の、小さな会社からの帰り道。二人とも、週末月経がはじまるようにプロゲステロンを摂っているので、高温期が続き、下腹部が重く体も火照る。

 ディストピアってほどでもないんだよね、と、鹿波も言った。ただちょっと、行き詰まってる感はあるよね。こうやってわざわざ生理周期を合わせるなんてさ。街路樹が、夕暮れ時の風に揺れる。

 この街はディストピアっていうほどではないけれど、少しディストピアだ。ユートピアっていうほどではないけれど、少しユートピアでもある。この街の生理がある人間たちは、迫る週末のために、普段より長めの高温期に耐えている。彼らが溜めている熱気のせいか、初秋にしては妙に熱がこもった陽気が続いている。

 月経期間にわざわざスポーツをする、そしてそれを競う、という、酔狂なことを考えたのは、この街の初代町長富士見能美だった。富士見は、この街を作った勇者として知られているが、実際は、単なる面白好きのばあさんであった。そして、天才的な人たらし。人の懐に入り込むのが異常に得意で、人をたらしこむだけで巨万の富を得たほどの人たらしだった。その人たらしぶりは、富士見の自伝『面白ければそれでいい』に詳しく書かれているので、ここでは省略する。

 その人生の半ばごろ、富士見は、面白都市をつくることに決めた。はじめに作ったのは、商業施設と居住空間がぎっしり詰まった、巨大な複合建築物だった。建物の名前は「革命館」。そこでは、風呂トイレはすべて共同だった。そして、トイレはもちろん、風呂も、更衣室も、男女の別がなかった。そのうえで、施設全体を無料で開放し、簡単な登録を済ませれば、誰でも住まい、商いできるようにした。ただし、この建物の構造に文句を言わない、その限りにおいて。

 性暴力が、ときどき起こった。トイレの個室で。あるいは、脱衣所の影で。しかし、それらは、「魂の殺人」ではなく、単なる「暴力」として扱われた。  男性も女性も、性暴力を必要以上に重く考えるべきではない、というのが、富士見の言い分であった。性暴力程度では人間の尊厳は折られない。ただ、人間の尊厳をそのような形で折りたいという加害者の意思は罰されるべきである。街の外で生きてきた、特に男たちは、ああいうのが楽しいって思いこまされてるから。かわいそうに、でももう矯正はできないんですよね。そういって、加害者が男女どちらであれ、殺した。事故死あるいは自死に見えるやり方で殺した。不自然なことに、警察がどんなに捜査しても、結論はなぜか常に、「事件性が認められない」だった。裏で金を掴ませまくったのだ。そんな殺人が1000件を越えたころ、性暴力は、消えた。無痴漢無強姦都市の誕生である。

 無痴漢無強姦の達成までには、様々なことがあった。黒い噂が噂を呼び、ブラックツーリズムに近い観光客が増えた時期もあった。外から来た男たちは、夏、白Tシャツノーブラ斜め掛けカバンをかけた大きい胸を持つ人を撮影したが、そういう男たちはその場で去勢された。逆に、ある人間がペニスを持っているというだけで排除しようとする類の人間たちも、社会的に惨殺され、街を去った。

 富士見の狂気を手助けする人間は、いくらでも湧いてきた。身体。精神。女。男。それらのことを考えるのに疲れた人間たちが集い、殺人や傷害を引き受けた。彼らは犯罪者として逮捕されることも厭わなかった。

 いびつかもしれない。それでも、この街をどこまでも「性暴力レス」にするために、という建前によって、富士見はやばい都市を広げ続けた。 「だってその方が、生きてて面白いでしょう?」インタビューのたびに、彼女はこう言った。そして、まあ言い訳だけどね、と舌を出した。

 もう一つ、富士見が私財を投じた事業があった。人工子宮の開発である。荒々しい方法で性暴力の撲滅に力を尽くした富士見にとって、「革命都市」と「人工子宮」、この二つはむしろ、同じものの表裏であった。精子卵子を一つにする方法は問わない、ただ、人体が孕まなければよい。ペニスに「女体」が侵襲された、何かが汚された。と思う、その思いを捨て去らなくてはならない。そのために、男女共用都市と、人工子宮は、必要不可欠である。

 富士見がそう信じるに至った、「ある暴力事件」については、富士見の自伝に詳しい。よってここでは省く。

 残った問題は、月経だった。健康上の理由から、子宮摘出は推奨されなかった。薬で抑えるにしても、月経を無にするのはやはり肉体への負担が大きいままだった。

 生理がある人たちは、富士見に言った。この、股から流れる血のせいで、我々は苦々しい思いをしています。私たちの溜飲を下げてください。「ならば、月経をスポーツにしよう。きっと面白いよ」。富士見は言った。富士見もまた、生理がある人だった。

 鹿波と可富は、無事、生理中に競技の日を迎えた。街のスタジアムに、月経期間中で生理のある人たち、が、大量に集っている。

 「すごい人だね」富士見鹿波が言う。「すごい人だよ」富士見可富が言う。「やっぱすごいわ」富士見佐戸身が言う。「かなりすごいよ」富士見保並が言う。「ちょっとすごすぎるよね」富士見南が言う。「やばいすごい」富士見津上が言う。

 人工子宮から遅れること20年、人間のクローン技術も実用化された。富士見は自らのクローンを作った。面白いから。そして、その人たらし能力によって、富士見を増やしていった。富士見が経験したあの暴力事件に遭っていない、トラウマを持たない単なる人たらしのいい奴しかも有能な富士見たちが人をたらしこみまくった。富士見たちのペースに人々は飲み込まれ、そして、富士見たちのみが増殖していき、そしてついに地球上から富士見以外いなくなったのは、もうどのくらい前のことだろうか。

 スタジアムは、選手の富士見たちでいっぱいだ。彼らは競技用タンポンを、股の間に仕込んできている。古式ゆかしい紐付き生理用タンポン(簡単アプリケーターで楽々フィットイン!)の形を模したこの製品は、競技の必需品だ。

 一人ずつ、投擲位置につく。経血を吸って重くなったタンポンを、その場でよっ、と引き抜き、ひゅるひゅると回し、遠心力をつけ、スタジアムの上、高く上る月に向かって投げつける。月のものを、月に一番近く投げた者が勝ち。飛距離とともに、投擲姿勢も評価される。佐戸身が投げ、保並が投げ、南が投げ、津上が投げ、その他大勢の富士見たちがタンポンを投げる。

 競技用に開発されたタンポンは、驚くほどよく飛ぶ。コツさえつかめば、誰でも第一宇宙速度まで出すことができる。そうして投げられたタンポンは、地球の周回軌道に乗る。今では地球の周りを、無数のタンポンが回っている。衛星のように、あるいは、地球という卵子をめぐる精子のように。何にもならない無駄な血がこうして、富士見の惑星となった地球を回り続ける。群れになって回り続ける。

 単なる血。どんな命の元にもならない経血が、全く同じDNAを持った人間たちの血が、スペースタンポンとなって回り続ける。

 かつて、この競技が面白だった時代があった。こうすることが露悪的で、規範への反抗を示していた時期があった。だけど、今は違う。富士見たちはそのことに深く満足し、そして、同時に悲しくも思う。スペースタンポンという名前だけはいまだにちょっと面白い。

 鹿波がタンポンを投げる番となった。彼女はここ数年頭角を現してきたタンポン選手である。今日の試合は負けたくない。ジャッジをにらみ、観客をにらんでから、血まみれのタンポンを取り出す。渾身の一投は、月の眩しさに目がくらんで手が滑ったが、それでも第二宇宙速度へ達していた。地球の重力圏を越え、この分では月まで届くだろう。スタジアムは、万雷の拍手に包まれた。おめでとう、鹿波、新記録だ!

 興奮冷めやらぬ中、とうとう最後の選手である可富が投擲位置についた。観客の富士見たちの声援が大きくなる。可富はその経血量の多さもさることながら、富士見史上最高のタンポン使いの才能を持ち、圧倒的な飛距離を誇っている。ここ数年負けなしである。使用するタンポンは、大手競技用タンポンメーカーが可富のために技術の粋を集めて作ったタンポンだ。

 可富はグラウンドの上で大きく息を吸い、ゆっくりとタンポンを股から引き抜いた。そして、タンポンの紐を持ち、ヌンチャクのように高速でタンポンを回し始める。ジャッジの富士見たちが身を乗り出す。ほとんど目視できないほど高速で回るタンポンが、血をまき散らしている。観客の富士見たちも固唾を飲んで見守る。ひゅんひゅんひゅんひゅんという音が、静まり返ったスタジアムに響く。  

 今だ。

 煌々と光る満月に向けて、可富は、タンポンを振り切った。タンポンは自分の意思を持っているかのように、空高く昇っていく。秒速16.7km。第三宇宙速度である。可富の投げたタンポンは、鋭い輝きを放ちつつ空の星の一つになった。きっとこのまま、あのタンポンは月を越え、火星を越え、木星土星天王星海王星……それらの重力にもからめとられず、たくさんの小惑星を粉砕し、太陽系外を目指すのであろう。さようなら、タンポン。よくわかんないけど、頑張ってね。

 スポーツの祭典が終わった。心地よい疲れの中で、富士見たちは、スタジアムからの帰り道、つぶやき合う。

 今の地球は、ユートピアってほどでもないけど、ディストピアでもないよね。

 みんなで待ち望んでみる。いつか、地球外の生物が、タンポンをよすがにこの富士見の惑星を訪ねてきてくれることを。だって、そしたら面白いじゃん。

ただの石のせいで死ぬ

 カーテンの隙間がどうしても空いてしまう、少し。
 カーニバルの船が鐘太鼓を鳴らし通り過ぎる、ゆっくり。
 川沿いのこの部屋に引っ越してきて、初めて迎える祭りの日。窓の下を流れる濁った水の上を、細い船体が、ナメクジのように進んでいく。その様を一緒に見たかった、ほんの少し前までは。嘘のような話だ。だって、一緒に見たかったその人は、隣の部屋で死んでいる。彼は生きているつもりかもしれないけれど、私の中では、完全に死んでいる。
 出会い、語り合い、肉体的に接触する、ともに暮らす。とても順調に進んでいるはずだった交際である。けれど、違ったようだ。人は人と関わることで死ぬ。今、隣の部屋で蠢いて、不機嫌そうに鼻を鳴らしているのは、彼ではなく、彼のなれの果てである。私は今、彼を殺したい。
 きっかけは、なんだったのだろう。もう思い出せないけれど、私の人格を否定されたことは強く覚えている。人格を否定しないでほしい、と言うと、君が先に僕の人格を否定したのだ、と言う。人権がほしい、と言うと、君が先に僕の人権をないがしろにしたのだ、と言う。すべてが私のせいであるようだった。すべてが私のせいだなんて、こんなに悲しいことがほかにあるだろうか。彼の人格を否定して、人権をないがしろにして、彼を悲しませてしまったのは、私だったのだ。その報いとして、私は、人格を否定され、人権をないがしろにされ、そして。そして、死のうとしている。
 その前に、彼を殺さねばならない。だって、私だって人格を否定され、人権をないがしろにされ、とても悲しいんだもの。その責任は、とってもらいたい。
 窓と反対側の壁にある祭壇に、祈る。彼が死にますように。彼が死にますように。
 薄く開いたカーテンの隙間から、ちりん、どん、たくたく、という音が聞こえ続ける。はてしない船の行列が朝から続いている。
 私は祈り続ける。彼が死にますように。彼が死にますように。
 ひときわ大きな音を立てて、他よりも華美な船が通り過ぎる。ちろん、ちりん、ちちち、たくたく、どん。
 隣の部屋からは何も聞こえない。重く大きな肉体が倒れる音も、それが超自然的な力に引きずられて窓を乗り越える音もしない。茶色がかった緑の濁った水に、彼の体が吸い込まれるとよい。派手な水しぶきをあげて、窓から落ちるその骸。沈んでいく。波を立てながら沈んでいく。そうなればよい。
 
 もちろんすべて、私の願望に過ぎない。私にできるのは、私の体を川の水に落とすことだけだ。
 祭壇のろうそくを手で払って消した。私は私を終わりにしなくてはならない。さようなら。窓から身を乗り出すと、船に乗る人々が一斉にこちらを向いた。どんどん、たくたく。ちりん。黒い穴の開いた彼らの顔が、微笑んでいるように見える。今がそのときだ。私の時が来た。
 私は窓の外に重心を移してゆく。少しずつ、少しずつ。恐怖があふれて口からこぼれ出しそうになる。ひるんでまた部屋に戻ろうとする私を、川へひきずり戻したのは、凄まじい音量の鐘太鼓。心がしびれていく。再び窓から乗り出した身に、つんと汚泥の臭いが刺す。
 私はあの人と関わったことで本当に死ぬ。しかしそれは私のせいになるのだろう。それでいい。船の人が、何かを私に渡す。両手を伸ばして受け取ったそれは、彼の体のようにとてもとても重い石。両手で捧げ持ったそれを絶対離さないように、前にのめる。
 どっぷん。
 石と手がくっついて離れない。これが私への罰。なぜ受けるのか、いまだに承服しかねている罰。
 こうして私は、川に沈む石となりました。カーテンの隙間からいつも覗いているのは、私です。

虚無を飲む

ストゼロを飲みながらこの文章を書いています。

私は昼間、虚無に依存しています。

虚無とは、これ

 

です。

サントリーからだを想うオールフリーのことを「虚無」と呼び始めて、もうすぐ1年になるでしょうか。

虚無はアルコール0.00%、カロリーゼロ、糖類ゼロ、タンパク質ゼロ、脂質ゼロ、炭水化物ゼロの飲料です。

 

虚無は、私の腹を満たし、その実何の栄養素も与えず、かつ利尿作用により飲んだ分より多くの水分を絞りだします。

一日に虚無を6缶くらい消費していますが、虚無なので消費した気がしません。

本当は毎日虚無だけで過ごしたいのですが、今日みたいにやさぐれている日はストゼロを飲んでしまいます。しかも、会社からの帰り道。文字通りの道だけではありません。道&電車内です。電車内も帰り道です。

こうして虚無とストゼロを飲んで過ごす人生は、本当に虚無だなあと思います。

「鳥よ!」

随分昔に、「鳥よ!」という名前のブログをやっていたことがあります。なんでそんな名前になったのかを書いたら、だいぶ長くなってしまいました。

 

まず初めに、私はウサギを飼っていました。うさ原という名前の、グレーのミニレッキスで、私にとってはとても大事なウサギでした。ミニレッキスってわかりますか?レッキスの小さいやつです。レッキスってわかりますか?毛皮用のウサギです。私はうさ原を、ペットショップで、25000円で買いました。それを聞いた母親は、「レッキス3匹ぐらい使ったマフラーがセールで5000円で売ってたよ」と教えてくれました。そういえば母にはうさ原の容姿をさんざん面白がられましたが、そのときはうさ原が世界で一番かわいいウサギだと思っていたので全然意味がわかりませんでした。今になって写真を見ると、ウサギだけど相当馬面なタイプのウサギで、割と面白い顔をしてたんだなとわかります。私には子どもがいて、私にとっては結構かわいい顔をした子どもなのですが、たぶん後で写真を見返すと面白い顔してる感じなんだと思います。

彼を飼い始めた直後に、ブログを作りました。そのとき私はブログの名前を「月に帰るな」と名付けました。ご存じの通り、月にはウサギがいます。ウサギを飼っている人たち(通称うさ飼い)は、ウサギが死ぬことを「月に帰った」と言い慣わしていて(今でもそうなのかは、わかりません)、だから私は、ウサギの長寿を祈る気持ちをこめて「月に帰るな」と名付けました。ちょっと気持ち悪いですね。

その年の冬のことです。うさ原は床に落ちていた私の睡眠薬(そのときはハルシオンでした。関係ないですが、ハルシオンって、プリオシン海岸とハルジョオンに似ていますよね。カンダタカンジダくらい似てるなあと思います、激似ってことです)を齧って飲み込んでしまい、入院してしまったのです。

洒落になりません。ブログタイトルが。

私は泣きながらブログのタイトルを変えました。「鳥よし」に。

近所にあった焼き鳥屋の名前です。悔恨で曇った目に看板の文字が飛び込んできたので、もうどうでもよくなってその名前にしてしまいました。ちなみに、割と老舗でしたが、こないだ通りかかったら、別の店になってました。なんだか寂しかったです。

幸い、うさ原は一命をとりとめました。入院費に12万円かかりましたが、うさ原の命と比べたら安いものです。

結局、4年しか生きなかったんですよね、うさ原。でも私にとってはとても濃厚な4年間でした。ありがとうねうさ原。

さて、「鳥よし」にしてしばらく経ちました。ふとアクセス解析を見てみると、なかなかの数「鳥よし」で検索して辿り着いちゃった人がいるんですよ。さあ、焼き鳥食べたいのに謎の駄文見せつけられる身にもなってみてくださいよ、なってみましたよ。ひどいもんでしたね、怒りに震えました。そこで、私はまたブログタイトルを変えようと決意しました。これ以上検索を邪魔するゴミになりたくなかったからです。

こうして私はブログを「鳥よ!」にしました。『鳩よ!』っていう文芸誌があったじゃないですか、昔。マガジンハウスから出てたやつ。そのパクリです。でも鳩より鳥全体に呼びかけたかった(そのときは)。

だから「鳥よ!」にして、そのまま7年くらい「鳥よ!」を続けて、子どもを産んで、子どもにブログばれしたら死ぬほど恥ずかしいなと思って消しました。

以上です。そんなに長くなかったや。

なんでこんなこと書いたかっていうと、あれですね、鳥が、ツイッターの鳥が、いなくなったからですね。

今、だから叫びたい。

「鳥よ!」