鳴るセピア

 9月初めの日曜日の夜、ツイッターを覗いたら、友人がスペースをやっている。おや珍しい。参加ボタンを押すと、先客のスピーカーが一人。白い布?の上に、茶色いゴマのようなものが写った写真の、アイコンの人だ。二人とも和やかな感じで話していたが、私の出現を見た友人が、あ、濃いトマトジュースちゃんだ、と言って、スピーカーに招待してくれた。せっかくだから少しお話しましょう。うん。と、承諾したけれどその瞬間、友人はごめんあたし今トイレ行きたい、とマイクをミュートにしてどこかへ行ってしまった。彼女は昔からそういうところがある。何もかも唐突なのだ。
 残った私たち、インターネットの声だけの場で初対面同士の二人は、当然無言でいるわけにもいかず、話の糸口を探して探して、思いついた。そう、彼のアイコンの話をしよう。私はアイコン写真に写ったゴマ粒のようなものが何なのかわかっていた。シバンムシだ。毎日見ている私にはわかる、あれはシバンムシだ。シバンムシは1~3㎜程度の小さな虫で、何でも食べて増えてしまう屋内害虫だ。気が付くと猫の水飲みに浮いていたり、カーテンに張り付いていたりして、不衛生感が半端ない。もうお気づきであろうが、シバンムシは、何を隠そう今うちに大量発生している。なかなかカミングアウトできないが、うちはシバンムシ屋敷なのだ。そんなシバンムシをアイコンにするからには、彼も家にシバンムシを持つ人に違いない。または、シバンムシの研究者?それならシバンムシの弱点など聞けるかも……よしここはひとつ話しかけてみよう、
「シバンム」
男の声がかぶさる。
アメリカの夜、って、ご存じですか」
 ……は?
アメリカの夜ですか」
アメリカの夜、です」
アメリカの夜……なんか、映画の、技術ですよね。昼間に撮った映像を、照明とかフィルターとか現像方法とか?で?夜に見せる。パチモンの夜みたいなニュアンスなんですかね?それから」先手をとられた私は勢いで話す。おっとりとした低い声のこの男性に、知識マウントを取られたくない。その一心で話す。
「それから、もちろんトリュフォーの映画のタイトルですよね。私あれ好きです。て、そんなに映画を見るわけではないんですけど。あとは読んでないけど、阿部和重の小説でもそういうタイトルのありましたよね」
「……そう。博識ですね」小さな低い声。あ、やっちまったかな。薄っぺらい逆マウント野郎としてひかれたか。
「えっ、ちが、すみません、なんかえっと」
「では、アメリカの入学式、はご存じですか」
「……すみません。存じ上げません」
「美しいけれどありえないもの、という意味です。アメリカに入学式はない。アメリカの卒業式はよく見かけますね、映画などで。ローブを着た学生たちが帽子を一斉に投げる、あの美しく自由な情景は、一度見ると目に焼き付きますね。日本の卒業式とは全然違う。我々みたいな、起立、礼、着席、みたいな、くだらない管理主義に縛られたクソつまらない卒業式。日の丸に一礼して。唾棄すべき習慣ですあれは」いまいましそうにため息をつく。「アメリカに入学式があったら。卒業式も美しいのだから、入学式も自由で美しいのだろうなあと、まあ、中高の仲間うちで作った言葉なんです」
「はあ」仲間うちの言葉かよ。知るわけねえじゃん。
「それで、狐の嫁入りという言葉もあるでしょう」
「お天気雨」
「そうです。それでね、でもね、本当に狐の嫁入りを見てしまう人が、たまに怪談で出てきますよね」
「狐のちょうちん行列を川の向こうに見るとかそういう」
「そうそう。ああいったことが、私にもありましてね。アメリカの入学式で。今、そのときの写真を貼りますね」
なにを言っているんだこの人は。面食らっているうちに、私宛の@ツイートが流れてくる。薄茶けた、セピア色というやつだ、そんな色の、白人や黒人が写った集合写真。
「もう50年も前になります。こんなふうな、9月初めの日でした。私はいたずらをして、親におしいれに閉じ込められていました。涼しかった昔の9月とはいえ、閉め切られた空間はひどく蒸し、暑苦しくて。そうしたら、からっとかわいたいい香りのする風が、おしいれの隅から流れてくるんです」
おしいれの冒険かよ。とつっこむ間もなくシバンムシアイコンの人は、話を続ける。
「そちらに向かって這っていくと、I suddenly realized I was at the attic. I heard my mom say, "It's time to go!”」
「えっ待って突然英語??????????????」
「失礼しました、えーーーーっとここから、英語なんですよ」
「atticって屋根裏部屋ですよね……」
「そうです。おしいれにいたはずの私は、白人の、青い目の少女になって、アメリカ郊外の家の、屋根裏にいました。 And My Dad drived me to school.」
「……」
「初めて行った学校で、 私は少し緊張し高揚していました。自己紹介のあと、私たちは校庭のフットボールゴールの前で、集合写真を撮りました。帰宅して、私は晩餐に祈り、ベッドでお休みのキスをされ、アメリカの少女である私にとってのいつものベッドで眠りました。その晩眠って起きると、私はまた日本の小学生に戻っていました。だから私は思っていました。あれは完全に夢だと。だけど先日母が亡くなり、実家の整理に通っていた時見つけたのが、この写真なんです。母の日記の間に挟んでありました。これをあなたに差し上げます」
 
さぱあああああああああああ、という風の音がした。ひんやりした中にも熱のある乾いたほこりの香り。屋根裏の窓から差し込む光に浮き上がる私の白い小さな指。my momが結んでくれたベロアのリボン。揺れるおさげ。車の中でmy dadは私を
 
「ごめんね待たせてー!」
写真から吹く風にすくんでいた私をここに引き戻したのは、友人の声。
「一人でスペースいるのって手持無沙汰だよね、ほんとごめん。トイレ行ったら生理始まっててさあ、なんか時間かかっちゃった」
「いいの、いいの」
スマホに目を戻すと、もちろん、シバンムシアイコンの人もセピア色の写真も、跡形はない。
「大丈夫。アメリカの入学式に出ていたところだったから」