スペースタンポン

 ディストピアってほどでもないけどね、と可富は鹿波に言った。ただちょっと、面白に流れすぎていておかしい気はするんだ。大きな街の、小さな会社からの帰り道。二人とも、週末月経がはじまるようにプロゲステロンを摂っているので、高温期が続き、下腹部が重く体も火照る。

 ディストピアってほどでもないんだよね、と、鹿波も言った。ただちょっと、行き詰まってる感はあるよね。こうやってわざわざ生理周期を合わせるなんてさ。街路樹が、夕暮れ時の風に揺れる。

 この街はディストピアっていうほどではないけれど、少しディストピアだ。ユートピアっていうほどではないけれど、少しユートピアでもある。この街の生理がある人間たちは、迫る週末のために、普段より長めの高温期に耐えている。彼らが溜めている熱気のせいか、初秋にしては妙に熱がこもった陽気が続いている。

 月経期間にわざわざスポーツをする、そしてそれを競う、という、酔狂なことを考えたのは、この街の初代町長富士見能美だった。富士見は、この街を作った勇者として知られているが、実際は、単なる面白好きのばあさんであった。そして、天才的な人たらし。人の懐に入り込むのが異常に得意で、人をたらしこむだけで巨万の富を得たほどの人たらしだった。その人たらしぶりは、富士見の自伝『面白ければそれでいい』に詳しく書かれているので、ここでは省略する。

 その人生の半ばごろ、富士見は、面白都市をつくることに決めた。はじめに作ったのは、商業施設と居住空間がぎっしり詰まった、巨大な複合建築物だった。建物の名前は「革命館」。そこでは、風呂トイレはすべて共同だった。そして、トイレはもちろん、風呂も、更衣室も、男女の別がなかった。そのうえで、施設全体を無料で開放し、簡単な登録を済ませれば、誰でも住まい、商いできるようにした。ただし、この建物の構造に文句を言わない、その限りにおいて。

 性暴力が、ときどき起こった。トイレの個室で。あるいは、脱衣所の影で。しかし、それらは、「魂の殺人」ではなく、単なる「暴力」として扱われた。  男性も女性も、性暴力を必要以上に重く考えるべきではない、というのが、富士見の言い分であった。性暴力程度では人間の尊厳は折られない。ただ、人間の尊厳をそのような形で折りたいという加害者の意思は罰されるべきである。街の外で生きてきた、特に男たちは、ああいうのが楽しいって思いこまされてるから。かわいそうに、でももう矯正はできないんですよね。そういって、加害者が男女どちらであれ、殺した。事故死あるいは自死に見えるやり方で殺した。不自然なことに、警察がどんなに捜査しても、結論はなぜか常に、「事件性が認められない」だった。裏で金を掴ませまくったのだ。そんな殺人が1000件を越えたころ、性暴力は、消えた。無痴漢無強姦都市の誕生である。

 無痴漢無強姦の達成までには、様々なことがあった。黒い噂が噂を呼び、ブラックツーリズムに近い観光客が増えた時期もあった。外から来た男たちは、夏、白Tシャツノーブラ斜め掛けカバンをかけた大きい胸を持つ人を撮影したが、そういう男たちはその場で去勢された。逆に、ある人間がペニスを持っているというだけで排除しようとする類の人間たちも、社会的に惨殺され、街を去った。

 富士見の狂気を手助けする人間は、いくらでも湧いてきた。身体。精神。女。男。それらのことを考えるのに疲れた人間たちが集い、殺人や傷害を引き受けた。彼らは犯罪者として逮捕されることも厭わなかった。

 いびつかもしれない。それでも、この街をどこまでも「性暴力レス」にするために、という建前によって、富士見はやばい都市を広げ続けた。 「だってその方が、生きてて面白いでしょう?」インタビューのたびに、彼女はこう言った。そして、まあ言い訳だけどね、と舌を出した。

 もう一つ、富士見が私財を投じた事業があった。人工子宮の開発である。荒々しい方法で性暴力の撲滅に力を尽くした富士見にとって、「革命都市」と「人工子宮」、この二つはむしろ、同じものの表裏であった。精子卵子を一つにする方法は問わない、ただ、人体が孕まなければよい。ペニスに「女体」が侵襲された、何かが汚された。と思う、その思いを捨て去らなくてはならない。そのために、男女共用都市と、人工子宮は、必要不可欠である。

 富士見がそう信じるに至った、「ある暴力事件」については、富士見の自伝に詳しい。よってここでは省く。

 残った問題は、月経だった。健康上の理由から、子宮摘出は推奨されなかった。薬で抑えるにしても、月経を無にするのはやはり肉体への負担が大きいままだった。

 生理がある人たちは、富士見に言った。この、股から流れる血のせいで、我々は苦々しい思いをしています。私たちの溜飲を下げてください。「ならば、月経をスポーツにしよう。きっと面白いよ」。富士見は言った。富士見もまた、生理がある人だった。

 鹿波と可富は、無事、生理中に競技の日を迎えた。街のスタジアムに、月経期間中で生理のある人たち、が、大量に集っている。

 「すごい人だね」富士見鹿波が言う。「すごい人だよ」富士見可富が言う。「やっぱすごいわ」富士見佐戸身が言う。「かなりすごいよ」富士見保並が言う。「ちょっとすごすぎるよね」富士見南が言う。「やばいすごい」富士見津上が言う。

 人工子宮から遅れること20年、人間のクローン技術も実用化された。富士見は自らのクローンを作った。面白いから。そして、その人たらし能力によって、富士見を増やしていった。富士見が経験したあの暴力事件に遭っていない、トラウマを持たない単なる人たらしのいい奴しかも有能な富士見たちが人をたらしこみまくった。富士見たちのペースに人々は飲み込まれ、そして、富士見たちのみが増殖していき、そしてついに地球上から富士見以外いなくなったのは、もうどのくらい前のことだろうか。

 スタジアムは、選手の富士見たちでいっぱいだ。彼らは競技用タンポンを、股の間に仕込んできている。古式ゆかしい紐付き生理用タンポン(簡単アプリケーターで楽々フィットイン!)の形を模したこの製品は、競技の必需品だ。

 一人ずつ、投擲位置につく。経血を吸って重くなったタンポンを、その場でよっ、と引き抜き、ひゅるひゅると回し、遠心力をつけ、スタジアムの上、高く上る月に向かって投げつける。月のものを、月に一番近く投げた者が勝ち。飛距離とともに、投擲姿勢も評価される。佐戸身が投げ、保並が投げ、南が投げ、津上が投げ、その他大勢の富士見たちがタンポンを投げる。

 競技用に開発されたタンポンは、驚くほどよく飛ぶ。コツさえつかめば、誰でも第一宇宙速度まで出すことができる。そうして投げられたタンポンは、地球の周回軌道に乗る。今では地球の周りを、無数のタンポンが回っている。衛星のように、あるいは、地球という卵子をめぐる精子のように。何にもならない無駄な血がこうして、富士見の惑星となった地球を回り続ける。群れになって回り続ける。

 単なる血。どんな命の元にもならない経血が、全く同じDNAを持った人間たちの血が、スペースタンポンとなって回り続ける。

 かつて、この競技が面白だった時代があった。こうすることが露悪的で、規範への反抗を示していた時期があった。だけど、今は違う。富士見たちはそのことに深く満足し、そして、同時に悲しくも思う。スペースタンポンという名前だけはいまだにちょっと面白い。

 鹿波がタンポンを投げる番となった。彼女はここ数年頭角を現してきたタンポン選手である。今日の試合は負けたくない。ジャッジをにらみ、観客をにらんでから、血まみれのタンポンを取り出す。渾身の一投は、月の眩しさに目がくらんで手が滑ったが、それでも第二宇宙速度へ達していた。地球の重力圏を越え、この分では月まで届くだろう。スタジアムは、万雷の拍手に包まれた。おめでとう、鹿波、新記録だ!

 興奮冷めやらぬ中、とうとう最後の選手である可富が投擲位置についた。観客の富士見たちの声援が大きくなる。可富はその経血量の多さもさることながら、富士見史上最高のタンポン使いの才能を持ち、圧倒的な飛距離を誇っている。ここ数年負けなしである。使用するタンポンは、大手競技用タンポンメーカーが可富のために技術の粋を集めて作ったタンポンだ。

 可富はグラウンドの上で大きく息を吸い、ゆっくりとタンポンを股から引き抜いた。そして、タンポンの紐を持ち、ヌンチャクのように高速でタンポンを回し始める。ジャッジの富士見たちが身を乗り出す。ほとんど目視できないほど高速で回るタンポンが、血をまき散らしている。観客の富士見たちも固唾を飲んで見守る。ひゅんひゅんひゅんひゅんという音が、静まり返ったスタジアムに響く。  

 今だ。

 煌々と光る満月に向けて、可富は、タンポンを振り切った。タンポンは自分の意思を持っているかのように、空高く昇っていく。秒速16.7km。第三宇宙速度である。可富の投げたタンポンは、鋭い輝きを放ちつつ空の星の一つになった。きっとこのまま、あのタンポンは月を越え、火星を越え、木星土星天王星海王星……それらの重力にもからめとられず、たくさんの小惑星を粉砕し、太陽系外を目指すのであろう。さようなら、タンポン。よくわかんないけど、頑張ってね。

 スポーツの祭典が終わった。心地よい疲れの中で、富士見たちは、スタジアムからの帰り道、つぶやき合う。

 今の地球は、ユートピアってほどでもないけど、ディストピアでもないよね。

 みんなで待ち望んでみる。いつか、地球外の生物が、タンポンをよすがにこの富士見の惑星を訪ねてきてくれることを。だって、そしたら面白いじゃん。